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進藤晴義インタビュー【自分の強みを知ること】

2019年8月28日 インタビュー 本部

2019年7月発行のJILLA機関紙「笑顔 7月号」に掲載したインタビューの全文を掲載させていただきます。

プロフィール
(有)ルームアールイラストレーション代表取締役社長
(株)ケン・アートセンターを経てフリーランスとなる。
30年以上にわたりTVCMなどの絵コンテを描くストーリーボードアーティスト。


自分の強みを知ること。

JILLA クロッキー講座 講師 ストーリーボードアーティスト 進藤晴義

進藤先生がイラストレーターになろうと思ったのはいつ頃ですか。

 子供の頃から絵は好きだったよ。小学生くらいかな?それで、デザインの学校に入ってイラストを学んで。これは面白いわ~と思ってね。卒業してイラストの会社に入ったら、そこがコマーシャルの絵コンテを描いていた。

やはり、子供の頃から絵が好きでしたか。

 友達に絵が好きなのがいて、一緒に描いたり、一人でも描いてたりしたよ。漫画を模写したりね。小学校の時にね。

憧れのイラストレーターはいましたか。

 特にいないね。あ、でも横尾忠則は当時流行っていて格好良かったな。というのはありました。影響を受けたって言えば、デザイン学校時代の先輩かな。上手い人がいてね。彼の絵を見て影響を受けるというのはあった。


絵コンテ(ストーリーボード)との出会い

人生の転機はありましたか。

 就職期が近づいてきたけど、まだ勉強したくてね。面白かった。勉強が。卒業するのが惜しくて研究科というのを作ったの。25人集めたら研究科を作っていいと言われたので一生懸命集めて、1年間延長してデザインやイラストの授業を受けて、その年の就職でCMの絵コンテの会社に巡り合った。巡り合わせってすごいというか。良かったのかどうかはわからないけれどね(笑)

 学校は楽しかったですよ。勉強して、絵のアルバイトでいいお金を稼いでいたし。

学生時代の絵のアルバイトは、どうやって探したのですか。

 学生課に行って「絵のアルバイトしたい」って言ったら紹介してくれて。面接があるんだけど、どこも一発で通るのよ。それが楽しくてね。いいお金を稼いでいたから、それで暮らしていけるなとも思ったけど、就職はしたね。社会の仕組みがわからなかったので。

就職してからはいかがでしたか。

 会社のやり方をまず覚えた。「受け」って言って、仕事を受けに行くのね。いろんな場所に行ってたくさんの人に会って、何をどう話すかとか、電話の受け答えとか。で、受けた仕事をイラストレーターに発注するの。発注を受ける段階で自分の頭の中に絵ができていないとイラストレーターに説明できないから良い勉強になる。人の話を聞いて絵にするというのは勉強になったね。

 そうそう、入ってすぐくらいの時に、社長から言われてね。広告の中から好きな写真を選んでいいから、それを1ヶ月かけてB2、B3くらいの大きさで写真のように描いてこいって言われてたの。写実もいいところ。これ以上描けないってくらい描くの。水彩でね。遠くから見たら写真っていうやつ。それを3枚4枚書いたかな。それで水彩の使い方や基本的なところを覚えちゃうという。入社したらみんなそれをやってた。

 あとは会社の描き方、タッチを余った時間に練習するの。だから会社では、絵を描いているか、外回りをしているか、という感じ。

会社に入って、描く立場になるまでにどのくらいかかりましたか。

 私は早い方でした。商品カットが最初の仕事だったね。2年目で、もう嘱託というか半分フリーの立場で仕事をするようになった。専属のフリーランスという感じで、仕事をもらう立場になった。

 昔はみんなフリーでやっていたから、会社という形態で仕事を受けて描くというのは、当時にしたら珍しい形だったと思う。今でいうエージェントみたいな感じかな?10万円の仕事だったら、描き手は3万円くらいしかもらえないけど、その代わり営業しなくてよかった。

独立しようと思ったきっかけは何ですか。

 会社のシステムもあってうまくいってないなと感じ始めて、ちょっと考えたんだけど、当時のマネージャーが社長の奥さんだったんだけど「最後までいてくださいね」って頼られて、最後まではいたんだけどね。結局、会社が無くなっちゃって。

 それですぐ、律儀に会社とかぶらないところへ営業に行った。マッキャンエリクソン博報堂(当時)に営業かけて、その日に仕事もらって帰って、すぐ仕事をした。

独立して、すぐに仕事はありましたか。

 すごかったね。すぐ忙しくなった。「この絵、誰?」って周りに広がっちゃって、途端に忙しくなった。安かったんだろうね、値段が。もともと会社が7割で、私が3割の値段でやってたわけだから、その感覚で行くと相場より相当安かったんだろうと思う。「早い」「上手い」「安い」が、偶然揃っちゃった感じ?(笑)

 それで、1年後くらいから毎年少しづつ値段を上げて、5年後くらいで相場の料金を頂くようになって、「早い」「上手い」「高い」に変わった(笑)

 バブルが弾けた後くらいからが、一番稼いだ時期だと思う。仕事の量がとんでもなかった。もうずーっと電話が鳴りっぱなしで。キャパの三倍の仕事が来るから、眠る間もなくてね。一週間で3日は眠れなかったかな。3分とか5分単位で寝るの(笑)だけど、7日のうち1日は休んだね。ただ寝るだけ(笑)

 身体はあちこちガタが来たよ。腰は痛いし、眠いから、一日中歯を噛み締めて仕事してるんだよ。あれで歯や歯茎がやられちゃうという。

画材は主に水彩でしたか。

 そうだね。一番慣れた画材だったから、時間が読める。計算しつつ仕事ができるから効率が良い。

 学生時代は、エアブラシやリキテックスとかも面白かったけどね。水彩はあまり使ったことがなくて、会社に入ってから覚えた。人が描いているのを見て覚える感じ。会社にうまい人がいたんだよ。すごい人がいた。水彩はその人の影響が大きいかな。

 とにかくコンテは猛烈な忙しさだから、とにかくバカみたいに描く。

デジタルは使わなかったのですか。

 当時コンテマン同士のつながりがすごく出来て、その頃、Macが使えそうだよって話が出て導入した。高かったよね、100万円(笑)お金かけちゃった分、元とらないともったいないなっていうんで、フォトショップを覚えた。おもちゃにしたらダメだなって思って。

 水彩の方が、圧倒的に速いからさ。ベースを水彩で描いて、ブラシとか、ぼかしとか、コピーとかで少し使って。デジタルは、加工に使えるなと思った。

 で、時間ができるようになってから、フォトショップで、ゼロから完成までデジタルで描くようになったけど、これは趣味だね。仕事とは別。

画材に対するこだわりはありますか。

 会社に入った時、会社がいい画材を使っていた。一番最初に使った画材がいいものだったんで、そのままずっと使い続けている。絵の具は、Windsor&Newton。筆は、日本画用。紙は、クレセントボード。何十年、ずっと変わらないかな。いい画材ですよ。

悩んだり、苦しんだことはありましたか。

 だから「死なないように。」だよ。本気で(笑)。

このままだと50歳まで生きれないなと思ったから。命かける仕事じゃないなって。だから、徐々に仕事を減らしていかないと、本当に。

 命に関わるなという生活だった。スランプより、命の心配だよ(笑)

 技術的にはね、少しづつマシにはなるんですよ。数を描くと。でもそれは、その世界の描き方の中での上達なの。違う世界に行くと「あ、かけないんだ。」ってのは実感しますよ。その道の職人みたいになっちゃって、他のこと、例えばMacとかで描き始めて「あ~、描けない。」ってわかったし、ものを見てないんだなって思うとクロッキーしたくなるわけ。「人すら描けない」って思った。ま、人は難しいんだけどね。頭で理解してなかったんだよ、なぜこうなるのか、という理屈が。

 仕事だと、頭の中にあるものでするする~っと描けちゃうから。漫画家もそうじゃないのかな?キャラクターはいて、それは上手く描けるけど、生の人を描けないとか。いや、描けるんだけどね。でも頭の中のモデルをなくしてリアルな人を描けるか?というとそれはちょっと違うと思う。

 道理というか理屈は知りたいと思うんだよ。どうしてこう動くんだろうとか。忙しさがなくなると、ようやくそういうところに気持ちがいく。

仕事を減らそうと決めたのはいつ頃ですか。

 50歳の頃くらいかな。30歳の時も、40歳の時も考えたけど、できなかった。おっかなくて(笑)。仕事を減らすのが怖かった。

50歳になって、いよいよ「仕事減らさないと死ぬ」って思った。「バカみたい」って思ってさ。「寝りゃいいじゃん、仕事断って」ってね(笑)お金は減るけど、今コロッと死ぬよりはいいなと思って。

 電話恐怖症になったよ?「あ~、また断らなきゃ」って思うのが辛くて。みんな泣きついてくるじゃん「お願い。誰もいないんです~」とか(笑)寝ないでやればできるかな?とか、思っちゃいそうになるけど、こっちも命かかってるからさ。

 若い時はいいけど、50になると、精神的にも肉体的にもキツくなってくるしね。無理できるのは若いうちだけだよ。若いうちは回復も早いし、仕事が楽しかった。

自分自身のトレーニングとして心がけていることはありますか。

 好きな絵を描きたいと思うようになってくるんですよ。注文があって描くというのがつまらないので、仕事じゃない絵。描きたいなと思う時に描くのが楽しい時間だったりする。

プライベートと仕事の切り替えは工夫されましたか。

 だから、切り替える時間もなかったんだってば…(笑)

寝る暇もないんだから。24時間描きっぱなしだった。瞬きで寝るくらい。今は違うけどね。


「描けるようになった」と思わないほうが良い。

若い頃にやっておいた方が良いことってありますか。

 若い時は、自分の限界を超える経験はしたほうがいいんですよ。こんなのできない!って思うことをやる。できた自分が誇らしく思えるような。これ以上できないって経験、限界突破は若いうちにやっておいたほうがいい。35才くらいまでかな。体に響かないうちに。

 あとは基礎ですよ。基礎は磨かないと、できてるって思った瞬間に成長が止まるので。基礎は一生。若い時は特に、みっちりやっておいたほうがいい。ずーっとやったほうがいいよ。クロッキーもそうだけど、デッサンもね。

想像力を広げる訓練とかもね。イメージを形に広げるのに、基礎が助けになる。描けるようになったと思わないほうが良いよ。きっと違うレベルのところで描けてないから。一瞬「結構上手く描けた!」と思うのはいいけど、ずーっとそう思っていたら成長しない。目は成長するんだよ。絵描きの目。それを育てることだね。

当時の生活サイクルはどんな感じでしたか。

 そんなのなかったね。仕事に合わせて生活する。10分あったら、5分は寝るとか。
すごいよ、瞬きで寝れるんだから(笑)

JILLAへメッセージはありますか。

 JILLAのセミナーは、いいところついていると思いますよ。水彩とか、クロッキーとか、基礎をちゃんと教えることに力を入れているから。そういうところを大事にしているのが良い。

進藤先生の講座を受講したクリエイターにメッセージはありますか。

 いつか気がつくんですよ。自分の基礎がどのくらいあるか。気付づいた時に始めてもいいんだけど、せっかく今JILLAで基礎を学べるんだから、参加したほうが絶対に得だよ。ものをちゃんと見る眼っていうのは、嫌になるくらいものを見ないと見えてこない。モデルさんのプロポーションを見る、骨を見る、筋肉を見る、影を見る、見えるものが変わるから絵描きの目になる。

 すでに実感されている方もいると思うけど、絵を描く時間のスピードアップ、つまり時短ができる。人体の理解が深まると速く正確に描ける。人が描ければ大抵のものは描ける。

クロッキーとデッサンは一生ものです、生徒の方々には長く続けてほしいですね。

 クロッキーを教えることは、私自身の勉強になってますよ。どう教えたら伝わるのかって教え方もそうなんだけど、物の見方を理屈で整理する勉強。自分でわかっていても、教えるとなると、理屈で整理しないといけないから。

クロッキーに個性は必要ですか。

 人の目って全部違ってて、同じものがどう見えているかというのは絵で表現するしかないんですよ。それが個性なの。クロッキーはデッサンと違って速く描くから癖が出やすい。線1本引くのもみんなそれぞれ違うんだよ。

イラストレーターとして更に上を目指したい人へメッセージをお願いします。

 執着することだね。1つのことに。自分の強みを知ること。そして強みをもっと強くすること。自分を理解すること。自分をわかってないと売り込みようもないので。

最後に、進藤先生がこれからやってみたいことはありますか。

宝くじを当てたい(笑)。お金の概念をなくして絵が描けたら最高だよね。

進藤先生、貴重なお時間をいただき大変ありがとうございました。
JILLAセミナー「クロッキー講座」も引き続きよろしくお願いいたします。